古の大寺院・雲林院のあと──まいまい京都@紫野その1
うららかな春の陽気。
やってきたのは出身高校の近く。大徳寺の角が見えるバス停の前。
京都をまたにかけるミニツアー──まいまい京都 - ちーさんのイイネあつめ
先日参加してきたこちらのツアーの出発地です。
ツアー名は、
【紫野】 牛若丸幼少伝説!紫野に残る言い伝えを謎解き
- 牛若丸と弁慶が出会った橋が紫野に!?お米屋の庭に、弁慶の腰掛石が! -
大徳寺が面する北大路通の南側。
普段観光客は訪れない普通の住宅街をめぐる旅でございます。
今日ご紹介するのは旅の初め。
大徳寺前交差点の北西に見える川とその対角線上にある雲林院です。
この川はその名も有栖川。
今でも有名なのは京都嵯峨にあるものですが、昔の京都には有栖川が3つもあったそうです。嵯峨、賀茂、そして先日行った紫野。
紫野の川は今ではほとんどが地下に潜り込み、地上から見られるのは、この大徳寺の横を含めた一部だけです。
のちほど、この有栖川がキースポットになってくるので覚えておいてください。
さて、ガイドさんの豆知識がたっぷり飛び出しながら、交差点を渡り、やって来ました雲林院。
今では大徳寺の塔頭のひとつになってますが、元々は雲林院ひとつで大きな寺院だったようです。応仁の乱で焼けてしまったみたいですが(涙)
(この辺りは本当に応仁の乱でよく焼けております)
元の名は、地名からとって紫野院と言ったそう。
それから晩年の紫式部が過ごした場所。
あら、紫つながりね。
というわけで、地元の人は、紫式部の「紫」は、紫野の「紫」だと思っているそうです。まぁ、信憑性が低いのは承知の上のようですが。
境内には、雲林院が官寺になった際に招かれた僧正遍昭の有名な和歌が彫られた石が置かれていました。
天つ風雲のかよいち吹きとちよ をとめのすかたしはしとゝめん
大きな寺院だった面影はなく、全体的にこじんまりとしていました。
住職が手入れをされている小庭を楽しみつつ、こちらを後にします。
進路を東に取りまして、少し行くと、何やら工事中の様子。
がくさい病院を取り壊ししているのですが、ここは元々の雲林院があった場所。
というわけで、発掘調査中です。
工事のフェンスの隙間から覗かせていただきました。
どうやらバリバリ重要な文化遺産が出てくるようです。
京都はどこ掘ってもなんか出てくるからな!!(笑)
そんなわけで、昔の雲林院は、上に載せた地図よりも大きな寺だったようです。
応仁の乱さえなければ(涙)
調査中のところをおじゃまし続けるのもあれなので、次の目的地へ──
(続く)